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行者さまと長福寺のつり鐘

むかしむかしのこと 
長福寺のつり鐘は、遠州でも他にないほどみごとなものでした。

ある日、旅のお坊さんが一人長福寺をたずねてきました。

「わたしは、これから大和(奈良県)の国までいくのですが、

お金に困っています。少しいただけませんか」

と、お坊さんは言いました。

その時、おしょうさんは※村の人と碁を打っていました。

「だめだ、お金なんて一文もないよ。

“かね”とつくものはあのつり鐘くらいのものだ。

あれでよければ持って行きなさい。」

そう言って、おしょうさんは碁を打ち続けます。

長福寺のつり鐘は、とても大きくて

一人や二人ではびくとも動かないものです。

おしょうさんは、お坊さんをからかって言ったのでした。

ところが旅のお坊さんは、

「ほう、あのつり鐘ならいいのですね。」

そう言って目を光らせました。

「ああ、いいとも」 

すると旅のお坊さんは、つり鐘を杖(金剛杖)にさし

「では、おしょう、もらっていくぞ」

つり鐘をふわりとかつぎ上げ、

西の方にむかって飛んでいってしまいました。

そうして、その夜の事。

「」という尊い仏様をまつる大和の国の大峰山では、

急に大風と大雨が起こり、地の底からゆれるような、

ものすごい山鳴りがしました。

 

そして夜があけてみると、

はるか先の切り立ったような岩山の上の大松に
大きな鐘がかかっているのが見えました。

村人が苦心してそのつり鐘をみると
『遠江の国 佐野群原田郷 長福寺鐘 天慶七年六月二日』

(天慶七年とは944年)とほりつけてありました。


やがてこの事は長福寺まで伝えられ、

大峰山から役行者尊の霊をお迎えしておまつりする事にしました。
その後、

長福寺では何度も鐘を作りましたが、

どれもうまくいかず、ついにつり鐘を置くことはあきらめました。

 


 今でも、世界遺産に指定された熊野古道の霊峰である

※大峰山には長福寺の名前のあるつり鐘があります。


※長福寺古文書では「終夜論壇旧識の如し」とあり
※奈良時代に鋳造されたと確認されている日本最古の釣鐘(16口)のひとつです

 

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